外壁塗装 熊本の外壁塗装屋根塗装のことなら 熊本県熊本市東区桜木5丁目9-102
(有)フジモト創社とは
私たちの歴史は、
昭和41年天草一号橋の
塗装から始りました
外壁塗装 熊本の外壁塗装屋根塗装のことなら
私たちの歴史は、昭和41年
天草一号橋の塗装から始りました
熊本
塗装会社
有限会社フジモト創社
代表 藤本京介
有限会社フジモト創社とは
私の父が塗装を始めたのは、昭和41年天草一号橋の塗装が最初でした。
それまでは、自動車会社に勤めていたそうですから、全く畑違いの職業への転職だったみたいです。知り合いと始めた塗装会社、しかも借金を背負ってからの創業、そしてよくありがちなこと、だまされて倒産。私自身幼いながら、知らない人たちが家にやってきて家具などに差し押さえの紙を貼られ写真を撮られた事を覚えています。それからの父は、大変だったろうと思います。昼は、大工さんの下請けをこなし、夜は、鉄工所でさび止め塗装の下請けを長いことやっていました。
その当時私の家は、きっと貧しかったんだろうと思います。
しかし、私の母のポジティブな性格からか全く貧しさを感じることなく育てられました。
6畳と4.5畳の2間のアパートで祖母・父と母と兄と私、親子みんなでわいわいがやがや、まあ、その頃は、みんなそんなものでしたから、夕ご飯を一緒に食べたり、夜は、テレビを持っている家に毎日当たり前のように見に行き、アパートのみんな家族みたいに協力して生活していたことを覚えています。

そんな子供時代を過ごしていた私が、最初に塗装に関わったのが小学4年生の時、それも大晦日、納期が間に合わないと連れて行かれ工事現場で除夜の鐘を聞いたのを覚えています。 それから、日曜日ごとに仕事を手伝うようになり、春休み・夏休み・冬休みほとんど手伝うようになり、高校生の頃には、職人さんから塗り方や仕事の段取り聞きに来られるほど成長していました。
もちろんアルバイト代は、小額ながらもらっていました。
アルバイト代を貰っては、好きな服を買ったり友達と遊びに行ったりしていました。
今にして思えば、その当時、おこずかいを貰っていませんでしたから、親にとっても都合の良いシステムだったんだと思います。
私が中学校に上がる頃には、家を建てることも出来ましたし、高度成長の波にも乗り、父親の仕事も少しずつ増え塗装工事も順調に増えていきました。
しかし、所詮下請け、施工会社の言うとおりにしか出来ません。とうてい足りない材料を支給され、それで仕上げてくれだとか、仕様書と違う安い材料を支給され、材料が違うことを監督に指摘しても、どうせお客さんは、何塗っても分からないからと言われたり、ひどいときには、予算がないからプライマーの代わりに水を吹き付けてくれと言われたり、まじめな性格の父には相当きつかったみたいです。
夜の晩酌のたびによく愚痴を聞かされました。
お客さんは、まともにお金を払っているのだから嘘をしたらいかんと、口癖のように言っていたのをよく覚えています。
大学を卒業し、私は、会計事務所へ就職しました。
仕事にも慣れ、順調に仕事をこなしていたのですが、そんな時親しくさせていただいていた顧問先が倒産してしまいました。
ダンダン悪くなる財務状態、社長このままではちょっと厳しいですよと言っても、明るく大丈夫大丈夫と言っていた社長、本当は、相当きつかったのでしょう。
突然の倒産でした。
結局私は、何も出来なかった。その事がショックでした。
そして、妻に相談することなく、会計事務所を辞めてしまいました。

それから私は、悩みました。
自分は何が出来るのだろう、何がしたいのだろうと、でも何も思いつかない、しかし、結婚しているのだし生活のために何もしないわけにもいかない。
それで仕方なく父の仕事を手伝いに行きました。
久しぶりの現場仕事、相変わらず汚れるし、疲れるし大変な仕事だな、親父も何十年もよくやっているな、私にはもう無理だなと思いつつ手伝っていました。
そんなある日、工事が完了し帰り支度をしていた時、お客様から「わー! 綺麗になった! 新築になったみたい、ありがとうございました。この次もお願いね!」と、満面の笑顔で言われました。 うれしかった。何年ぶりだろう、仕事をしていてこんなに感謝されたのは、その時、昔のことが走馬燈のように頭の中によみがえってきました。
小学生の時、小さいのによく頑張るねとおばさんからお菓子を貰ったこと、中学生の時、お客さんに家を綺麗にして貰ったお礼にとウナギを食べに連れて行って貰い、ウナギは初めて食べたので、世の中にこんなにおいしい食べ物があったのかと感動した事、大学生の時は、飲みにも連れて行って貰ったそんなこと。
バイトでやっていた頃はただ嬉しかっただけでそれ以上は何とも思わなかった事が、今日は無性に嬉しかった。

その時、私は思いました。こんな近くにあったんだ、よしこれだ、やっぱり仕事として塗装をやろうと。
私は、父の背中をみて育ってきました。
思い通りにならない下請け工事のジレンマも分かっていました。それで私は、やるからにはお客様に喜ばれる塗装がしたい。そして、私自身も職人もプライドを持って仕事ができる塗装がしたい。それには、お客様と直接話しが出来る直請負しかありません。
よし、直請負一本で行こうと堅く心に決めました。

最初は、飛び込み営業もしましたし、それなりに苦労もしましたけれど、少しずつお客様の笑顔が増えるたびに苦労した以上に私も楽しく仕事が出来るようになりました。
おかげさまで、2回目の塗装、3回目の塗装をご依頼いただくお客様も増えてきました。これからもおお客様の笑顔で塗装工事が終われますように私共々従業員一同努力してまいります。
有限会社フジモト創社
代表 藤本京介
有限会社フジモト創社とは
熊本
塗装会社
有限会社フジモト創社
代表  藤本京介
私の父が塗装を始めたのは、昭和41年天草一号橋の塗装が最初でした。
それまでは、自動車会社に勤めていたそうですから、全く畑違いの職業への転職だったみたいです。
知り合いと始めた塗装会社、しかも借金を背負ってからの創業、そしてよくありがちなこと、だまされて倒産。
私自身幼いながら、知らない人たちが家にやってきて家具などに差し押さえの紙を貼られ写真を撮られた事を覚えています。
それからの父は、大変だったろうと思います。 昼は、大工さんの下請けをこなし、夜は、鉄工所でさび止め塗装の下請けを長いことやっていました。
その当時私の家は、きっと貧しかったんだろうと思います。
しかし、私の母のポジティブな性格からか全く貧しさを感じることなく育てられました。 6畳と4.5畳の2間のアパートで祖母・父と母と兄と私、親子みんなでわいわいがやがや、まあ、その頃は、みんなそんなものでしたから、夕ご飯を一緒に食べたり、夜は、テレビを持っている家に毎日当たり前のように見に行き、アパートのみんな家族みたいに協力して生活していたことを覚えています。

そんな子供時代を過ごしていた私が、最初に塗装に関わったのが小学4年生の時、それも大晦日、納期が間に合わないと連れて行かれ工事現場で除夜の鐘を聞いたのを覚えています。
それから、日曜日ごとに仕事を手伝うようになり、春休み・夏休み・冬休みほとんど手伝うようになり、高校生の頃には、職人さんから塗り方や仕事の段取り聞きに来られるほど成長していました。
もちろんアルバイト代は、小額ながらもらっていました。
アルバイト代を貰っては、好きな服を買ったり友達と遊びに行ったりしていました。
今にして思えば、その当時
おこずかいを貰っていませんでしたから、親にとっても都合の良いシステムだったんだと思います。
私が中学校に上がる頃には、家を建てることも出来ましたし、高度成長の波にも乗り、父親の仕事も少しずつ増え塗装工事も順調に増えていきました。
しかし、所詮下請け、施工会社の言うとおりにしか出来ません。とうてい足りない材料を支給され、それで仕上げてくれだとか、仕様書と違う安い材料を支給され、材料が違うことを監督に指摘しても、どうせお客さんは、何塗っても分からないからと言われたり、ひどいときには、予算がないからプライマーの代わりに水を吹き付けてくれと言われたり、まじめな性格の父には相当きつかったみたいです。
夜の晩酌のたびによく愚痴を聞かされました。お客さんは、まともにお金を払っているのだから嘘をしたらいかんと、口癖のように言っていたのをよく覚えています。
大学を卒業し、私は、会計事務所へ就職しました。
仕事にも慣れ、順調に仕事をこなしていたのですが、そんな時親しくさせていただいていた顧問先が倒産してしまいました。
ダンダン悪くなる財務状態、社長このままではちょっと厳しいですよと言っても、明るく大丈夫大丈夫と言っていた社長、本当は、相当きつかったのでしょう。
突然の倒産でした。
結局私は、何も出来なかった。その事がショックでした。
そして、妻に相談することなく、会計事務所を辞めてしまいました。

それから私は、悩みました。
自分は何が出来るのだろう、何がしたいのだろうと、でも何も思いつかない、しかし、結婚しているのだし生活のために何もしないわけにもいかない。
それで仕方なく父の仕事を手伝いに行きました。
久しぶりの現場仕事、相変わらず汚れるし、疲れるし大変な仕事だな、親父も何十年もよくやっているな、私にはもう無理だなと思いつつ手伝っていました。
そんなある日、工事が完了し帰り支度をしていた時、お客様から「わー! 綺麗になった! 新築になったみたい、ありがとうございました。この次もお願いね!」と、満面の笑顔で言われました。
うれしかった。何年ぶりだろう、仕事をしていてこんなに感謝されたのは、その時、昔のことが走馬燈のように頭の中によみがえってきました。
小学生の時、小さいのによく頑張るねとおばさんからお菓子を貰ったこと、中学生の時、お客さんに家を綺麗にして貰ったお礼にとウナギを食べに連れて行って貰い、ウナギは初めて食べたので、世の中にこんなにおいしい食べ物があったのかと感動した事、大学生の時は、飲みにも連れて行って貰ったそんなこと。
バイトでやっていた頃はただ嬉しかっただけでそれ以上は何とも思わなかった事が、今日は無性に嬉しかった。

その時、私は思いました。こんな近くにあったんだ、よしこれだ、やっぱり仕事として塗装をやろうと。
私は、父の背中をみて育ってきました。
思い通りにならない下請け工事のジレンマも分かっていました。それで私は、やるからにはお客様に喜ばれる塗装がしたい。そして、私自身も職人もプライドを持って仕事ができる塗装がしたい。それには、お客様と直接話しが出来る直請負しかありません。
よし、直請負一本で行こうと堅く心に決めました。

最初は、飛び込み営業もしましたし、それなりに苦労もしましたけれど、少しずつお客様の笑顔が増えるたびに苦労した以上に私も楽しく仕事が出来るようになりました。
おかげさまで、2回目の塗装、3回目の塗装をご依頼いただくお客様も増えてきました。これからもおお客様の笑顔で塗装工事が終われますように私共々従業員一同努力してまいります。
有限会社フジモト創社
代表 藤本京介